■ファシリテーション活動

ニジェールについて/活動背景 

 

一言にアフリカ、一言にニジェールと言っても、人々の持つ価値観や生活文化は地域によって違います。それは地形や気候、民族的要素やこれまでの歴史的背景によって、人がそれらに対応しようとして育まれてくるものなのだと思います。 

ニジェールのマラディ州はキャラバン隊などの交易が盛んだった地域であり、外からの移民も多かったためか、外から入ってくる文化や人に対しては、比較的オープンな土地柄になっています。 

 


ニジェールは国土の3分の2がサハラ砂漠に覆われた内陸国でオアシス以外は農業もできないので、残りの3分の1の地域に大半の人が住んでいて、村落部では農業や遊牧を、都市部では商業や製造業、行政機関で働いて生きています。砂漠が近い故に生活資源は限られていて、大西洋岸から地中海岸までの交易を通して、生活資源を確保して生きてきた人たちです。外との接点が必須の環境で生きてきた彼らは、よそ者を排除せず、彼らが持ち込むモノや知識を活かして生きてきたので、私たちよそ者から見ると、ある意味無防備で、ある意味とても親しみやすい人たちです。文字を持たない文化のためか、彼らは時間があったら朝から晩まで誰かとしゃべっています。とにかく人と人との距離が近いので、孤独死とか一人でご飯食べるとか「今日誰ともしゃべっていない」とかは絶対させてくれません。 

こんなニジェールと打算では説明がつかない縁がたまたま重なって、出会って、今まで活動しています。 お金が底をついたり、行政や商人から潰されそうになったりしながら、その都度日本からも村人からも助けられながらなんとかやってきました。 

三木さん作成の文章より抜粋 

 

 

また農業においては、農業限界ラインに位置しているため土地は肥沃とは言えず、主食のヒエやアワ、トウモロコシなどを栽培しながら、痩せてきたら農地を移す。といった形で行われてきたそうです。 

収穫後は残渣(茎や葉などの、可食部分以外の部分)を遊牧民や自前の家畜に与え、家畜から出たフンを改めて肥料とするサイクルもあり、何かと諍いがおこりながらも、遊牧民ー農耕民間の関係性も出来ていました。 

また木や森がある地域もあり、そこでは木材や薬草などの生活資源、食料として木の実や野生動物などをとったりもしていたそうです。 

生活資源の多くを土地や動植物から供給していた彼らにとって自然環境は敬意を払うべきものと認識されたため、木や石や動物に宿る精霊を信仰するようになり、自然崇拝が行われていました。 

 

こういった環境が、そこで生活している人々の価値観を育み、その中で生きていくために必要な価値観が、その土地古来からの「道徳」として定着していきました。人が生きるために作り上げる社会。その維持のために必要な価値観が、道徳の一面なのだと思います。 

 

 

長い年月をかけて培われていった在来の価値観や道徳心ですが、それが今大きく変わってきています。 

古くは遊牧民によるイスラム化、その後のフランスによる植民地化、奴隷貿易、大戦の影響と、その後の開発援助や企業参入。 

 

イスラム化により信仰が変わり、霊性を失った動物や草木は住民にとってただの物になりました。またコーラン学校ができ、そこでイスラム式の道徳を学ぶことになりました。 

 

植民地支配により、土地や農業を中間管理をする層が作られ、その人達に富や権力が集中しました。 

 

奴隷貿易から逃れてきた人々を匿ったのはマラディ地域だと言われています。その結果外部から人が流入し、移住者の町ができました。またこの土地でもフランスによるプランテーションが行われ、落花生などが栽培されました。その際に中間管理者による強制労働や人頭税による搾取で、多くの住民は奴隷同然の扱いを受けました。過酷な労働と飢餓で多くの人が死に、今でもこの中間管理層を恐れる人がいます。 

 

開発援助や企業参入により、多くの事が変わりました。貨幣経済の浸透により物や人の価値づけが明確化され、食料もサービスも、人でさえも商品化されました。学校教育の普及により公教育や資本主義・民主主義の重要性が謳われ、在来の価値観や道徳心は軽んじられるようになりました。また子どもは学校とコーラン学校での就学に追われ、家や畑で家族と過ごす時間が激減しました。親の働き様や後姿を見る機会が減り、親族内でも価値感や道徳が共有できなくなりました。医療の充実と保健の啓発により、大人も子どもも死ななくなりました。これ自体は喜ばしい事ですが、変わりに人口が増え、痩せた土地を最大限利用することになりました。これまでは土地が痩せたら農地を移していましたが、今では土地のほとんどが農地で覆われ、痩せても使い続けるしかありません。その土地も、自分の子ども達に均等に分配するので、一人当たりの所有地は減る一方です。 

イスラム教では男一人につき四人の妻を娶ることができ、一家族で20人などという家庭もあります。また宗教上、避妊は禁忌とされます。 

 

 

ヤウダゴベの活動:何をしているのか 


ザックリとですが、以上がここ100年ちょっとでおこった変化です。どの変化も自分達で選び取った変化ではなく、外部からの介入によりもたらされたものです。彼らは、自分達で生き方を決める暇もなく、価値観や生活をかき回されながら現代に至っています。本来の価値観や道徳の原型を知る人は、今や天然記念物級に少なくなっています。 

 

 

資本主義の流れも貨幣経済の浸透も、もはや止める事の出来ない流れだと思います。私たちがそうだったように、それが嫌だと思っていても、気づかないうちにその価値観に染まっていく。自分たちの生き方を守りたいが、周囲や、世界的な大きな流れがそれを許さない。様々な支援や企業参入があり、それらから変化を求められる中、村人たちはどのような生き方をしていくのか。自分たちの元の生き方や、本来あった価値観や道徳はおそらく再生しきれない。そんな状況も含めて、これから何を選び取るのか。それを考える手伝いをするのが、ヤウダゴベの主な活動です。ただ状況に流されて生きていくのではなく、「自分達はどう生きたいのか?」「そのためにはどうすればよいのか?」を問い、今ある問題の紐解きや整理を行います。今風に言うと、ファシリテーションと呼ばれるものです。 

 

ニジェールのマラディ州、マダルンファ県周辺を活動地域とし、現場には代表の三木夏樹(以下三木さん)が駐在しています。実動するファシリテーターはその土地の村人で、三木さんはそのファシリテーターに対して助言やファシリテーションを行ったり、集まった情報の裏付けや整理を行ってます。また村人にはアクセスがない外部や行政、司法とのやり取りや、それらに関する情報も収集し、世界情勢も踏まえた外部からの視点を提供したりもします。現在ヤウダゴベに関わっている村は約200村にわたり、ファシリテーターが村々を訪れ、問題を聞き取り、状況整理や外部者としての視点の提供などを行い、問題に対する住民の生き方を改めて問います。これは政府などからのトップダウンで施された取り組みではなく、住民がヤウダゴベの噂を聞きつけ、「うちにも来てほしい」という要望に応えた結果、200もの村々と関わることとなりました。 

村によって問題も価値観も異なるため、それぞれの村で行われる取り組みは違います。全てを列挙するのは無理ですが、多くの村が取り組む代表的なものとして、婚資に関する活動が挙げられます。 

 

 

 

活動例:婚資についての活動 

 

二ジェールでは結婚する際に、夫家族から奥さん家族に婚資が支払われる風習があります。昔は畑から採れたヒエやアワを出していたものが、貨幣の浸透と共に現金化し、さらに婚資の額が競われるようになって高額化していきました。昔は自給自足をベースに生きてきた彼らの生活の多くが商品化されていく中で、この高額婚資が女性を商品化し、婚資を払うために畑を売ったり、親が自分の身をマフィアに売ったりするケースも出てきて、ニジェールに留まらず近隣国も含めた社会問題になっています。これに対して、「結婚や人まで商品化してくれるな」というのが多くの住民の声でした。が、結婚の祝い事で儲けを得ていた商人が低額婚資や質素な祝い事を人海戦術で猛烈に批判し、同調圧力の強いニジェールの気質と相まって、なかなか住民だけでこの問題を解決できずにいました。商人の狙いは結婚商売と、婚資獲得のために住民が売った農地独占です。これにより活動村の一部では村の農地の半分が商人の手に渡り、一気に農民の小作農化が進みました。そこで私たちと村人とで彼らなりの組織化や制度化のあり方を模索し、それぞれの村がルールを設定して、婚資の低額化をしました。当然、私たちや活動村に商人から猛烈な攻撃がありましたが、「人間は商品ではない。誰かの生活を踏みにじってまで儲けを追い求めるのは間違っている」ということを多くの村が主張して、最終的には商人の攻撃をおさえました。 

 

三木さん作成の文章より抜粋 

 

 

 

 

経済活動支援/道徳だけでは補いきれないもの 

 

「自分達はどう生きたいか」と生きる価値を問いただし、自分たちの価値や道徳を見直す活動は今も行われています。しかしその一方で、隣国からの密輸業に手を染めたり、武装勢力へ参加し、身代金目当てで住民拉致を行う住民は後を絶たちません。近年は金の採掘も行われ、採掘作業に従事し、半年で大金を手に入れるような状況も増えています。大金を手にした若者の多くは家を建て、車やバイクを買い、複数の奥さんと結婚します。しかしその大金を持続的に運用する力は彼らにはなく、お金を使い果たすと再び貧乏に戻ります。生活水準は裕福だったころのまま吊り上がっているので、さらなる犯罪に手を染めたり、離婚して奥さんを切り捨てたりしてしまうようです。こうした住民の価値観は「お金=力」であるため、他の住民が道徳や生き方を問うても聞かず、忠告も耳に入りません。そのため、自分がやりたいことを最優先に、やりたいように行動してしまうため、その結果彼らの家族が犠牲になっていきます。 

 

これに対して多くの村で取り組み始めたのが、村での商業活動です。何を商売とするかは村によって異なりますが、その目的は商業活動によって得た利益を村人の生活支援(主に食料や医療費補助など)をすることで、これにより、 

 

目先の欲望のための金稼ぎではなく、みんなの生活を安定化させる目的のために使い、『お金=手段』という認識 

 

得たものを使いたいように使い、無計画に生活水準をあげるのではなく、将来を見据えて投資するという発想 

を生み出そうとし、中期的には 

周りの迷惑を考えない「お金=力」思考の身勝手な住民に対して、支援を打ち切るという制裁をかける 

ような、個人の欲の暴走に対する抑止機能としても期待されています。 

 

人が多様化し、社会が複数の人間でできあがる以上、様々な人間が現れます。人はヒトでもあり、本能に従って動く生き物でもあります。社会における道徳や生き様を問われても、それを無視してでも個人の利益獲得に動く個体が出てくる事は避けることはできません。村において、今回その解決手段として取られたのが、「お金と仕組みをもって学び、新たな価値を作り出し、それにより悪行を抑止する」という事でした。 

 

 

 

他にも、村の若者がお金目当てに武装勢力・テロに参加するのをどう回避するかとか、お金と個人の欲求に魅了された若者・子供の道徳の崩壊、人口増加と農地不足による食糧難など、にっちもさっちもいかない問題に取り組む村が多くて、だいたい多くの村の最初の反応は、「世界からの悪影響だ。だから私たちにはどうにもできない」というものです。なので私たちから、「じゃあ世界に沿わなくてもいいかもしれない。あなたたちにとって心の拠り所になる生き方は何ですか?」という問いで彼らとの関わりが始まります。 

三木さん作成の文章より抜粋 

 

 

私(郡司)は「人の価値感や道徳が変わらない限り、社会は変わらない」という認識を過去に持っていましたが、どうやらそれは間違いだったようです。社会にいる全ての人の価値感を変えるというのは不可能だし、仮にそれができたとしたら、それは洗脳や独裁にもなり得る事だと思います。また今まで培った価値観を変えるという事は、今までの自分を批判することに他ならず、それには痛みが伴い、相当の時間も要し、自力のみでの修正は難しいように感じます。自身の価値観や道徳を省み、新しいもの生み出すには、他者や社会からの助けや仕組み、価値共有などが必要なのかもしれません。 

そういう意味では、商売を通して住民の意識変革を行う村々の試みは、人々の道徳を問う活動では解決できない部分を補填できるのではないかと思っています。多分、世の中にある社会や人に関する問題の多くは、「これをやっとけばすべてが解決する」というものではない。折り紙で作る玉飾りのように、様々なポイントを押さえながら、少しずつ、全体を意識しながら紡ぐものなのかもしれません。 

家族や一族の中で生きる個人。村や町があって成り立つ家庭。地域や国はそういった自治体を包んだ大きな社会であり、それらは全て、生活資源を提供してくれる自然環境があって成り立っている。教育も農業も、医療も商業も、別の括りのように見えて実はすべて繋がっている。その中のどことどこがポイントで、それをどう捉え、どう組み合わせていくのか。どんな規模であれそういったことに思いを馳せるのは、社会や自分にとって決して悪い事ではないと思います。 

■プロジェクト

準備中

村づくりプロジェクトについて発信予定

プロジェクト3

準備中

フィスチュラ支援について発信予定